楽器の事典ピアノ 第6章 日本の主要ブランド一覧 4 福島ピアノ

HOME > メディア > 楽器の事典ピアノ > 楽器の事典ピアノ 第6章 日本の主要ブランド一覧 4 福島ピアノ
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


わが国のピアノ製作のあゆみ

創世期の先駆者たち

福島ピアノ


  福島ピアノは大井町の東京楽器研究所で作り出されたものである。この研究所の所長であった福島琢郎氏は、ピアノの技術者としては飛び抜けたインテリであった。
 彼は早稲田大学の商学部を卒業後、日本楽器に入社しているが、当時の農商務省と音楽学校の推薦で渡米し、スタインウェイで二ヵ年ピアノの製造技術を学び取ったが、帰朝後、理論と技術が噛み合わず、日本楽器を飛び出している。
 福島氏の父親は三井の重役で、当時のエリート中のエリートであったため、三越の重役その他の出資を得、さらに、実際の技術者として、後にヒロタピアノを作った日本楽器の広田米太郎氏を招いて、1918年に株式会社東京楽器研究所を設立したのである。名前は研究所であったが、実際はピアノエ場で、福島氏は音楽学校の顧問もしていたので、その製品は品質も優れていたが、販売機構を持たなくても飛寒ように売れていった。当時のヤマハのアップライトは最低500円であったが、関東のメーカーのものの方が値段が高く、ニシカワが650円、フクシマが最も高く800円だったという。
 製造台数は総数でわずか500台程度であったが、この研究所で技術を習得した多くのピアノ技術者たちが、のちの関東地方のピアノの製造を支えたのである。技術者として活躍した方々は次の通り極めて多い。
 (故)木下乙弥、(故)藤原梅太郎、(故)太田一郎、(故)山崎秀雄、清水栄一、伊藤辰雄、橋本勝美、(故)立三郎、(故)斎藤喜一郎、渥美亘弘、(故)竹内友三郎、(故)森吾市、(故)大越勇喜、淵田栄、(故)松崎妙、大岩降平、(故)大友雅一、飯国一郎、福井辰利、大井長一の各氏。



 
改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


▶︎▶︎▶︎第6章 日本の主要ブランド一覧  5 広田ピアノ

▷▷▷楽器の事典ピアノ 目次

  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 
KAWAI
YAMAHA WEBSITE