楽器の事典ピアノ 第2章 黄金期を迎えた19世紀・20世紀 1 大きな飛躍を見せた19世紀のピアノ

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[画像]セバスチャン・エラール


大きな飛躍を見せた十九世紀のピアノ


 18世紀の終りまでは、ピアノの作曲家も演奏家もピアノの性能を拡大すべく、ピアノメーカーを励まし続けた。彼らの目標とする理想のピアノは、ウィーンのピアノの機構上の敏感さと、イギリスのピアノの音のまろやかさを持ち、さらに演奏技術の上でスピードとレペティションが可能でその上大ホールで弾奏できるほどの充分な音量を持つものであった。そのため、響板とフレームは強化され、弦は太くて張力が大きいものが用いられ、さらにアクションも改良し続けられたのである。これらの要求を満たすものとして出現したのがセバスチャン・エラールのピアノで、特に彼の考案したアクションは抜群の性能を持ったものであった。
 ウィーンとイギリスで発達した双方のピアノをフランスのメーカーがひょいと取り上げて、優れた混血児のような、両者の長所を併せ備えたすばらしい性能のピアノを作り上げたのである。
 エラールはもともとはドイツ人で、1752年にストラスブルグで生まれており、ピアノの改良はいうにおよばず、ハープやパイプオルガンの新しい機構の開発でも後世に名を残した人物である。
 彼は1768年にパリのあるチェンバロメーカーに弟子入りしたが、生来の研究熱心さから、技術的なことでそのマスターとトラブルを起こし、他の楽器メーカーに移っている。
 二度目のマスターは幸いにも、彼の才能とあり余るエネルギーを理解してくれたので、エラールはこの工場でずば抜けて美しい音色と、デリケートなタッチを持つ、比類のないチェンバロを作り上げた。
 その後、彼はフランス王ルイ14世らの後援を得て、ピアノにさまざまな改良を加えて、すばらしい音色のピアノを作り上げた。
 19世紀の初頭において、ピアノの需要は驚くべき勢いで拡大して行った。その理由はベートーヴェンのピアノソナタなどが爆発的な人気でもてはやされたことにもよるが、オペラ音楽の台頭、ヴァイオリンやプリマドンナの歌声のビブラートおよび楽器の合奏などが急激に人びとの関心を引き始め、なんとかしてこれらの魅力的な音色を、ハウスホルドオーケストラ(家庭の中のオーケストラ)と呼ばれるようになった便利なピアノの音に移そうとしたからである。そのため、ピアノのアクションは、猛烈なスピードによるレペティションに耐えるように要求され始めた。この要望に応じてエラールは数々のレペティションアクションを作り上げている。
 しかし、その初期のものは、いずれもメンテナンスが困難で、しばらく使っていると雑音を伴い、しばしば調整しなければならないやっかいなものであったという。
 ピアノ製作史上における最大の発明といわれているエラールのダブルエスケープメントによるアクションは、1821年に完成され、同じ年に彼の甥のピエール・エラールの名で、イギリスでパテントが登録されている。
 最初に作られたダブルエスケープメントアクションは、その構造があまりにも複雑なものであったが、その後ヘルツによって簡略化されて、そのさまざまな形態のものがスタインウェイ、ベヒシュタイン、プレイエル、カラード、ブロードウッドなどの著名なメーカーの楽器に使われ始めたのである。
 エラールの最大の功績はダブルエスケープメントアクションの考案であったが、他にも二段鍵盤でピアノとオルガンの双方の音が出せる楽器、鍵盤を動かしてフィンガリングを変えずに移動できるもの、ペダル鍵盤のついた楽器、低音部の弦に銅のワイヤーを使ったものなどを作り上げている。



改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


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