楽器の事典ピアノ 第3章 世界の代表的ブランド 欧米遍 エラール

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世界的な名声を勝ち得た名器とその系譜
 

エラール

 セバスチャン・エラールは、一七五二年の四月五日に歴史的な古都であるラスブルグで生まれている。
 彼はメカニカルなことに関する異常なまでの天才児で、八歳の時に既に建築学の構造理論、実践的な幾何学および製図法などを学校の教科で学んでいたという。また、彼は一種の発明マニアで、どんな問題でも彼は独特の方法で解決するという、稀れに見る天賦の才を持ち合わせていた。これが後年、ピアノの飛躍的な改良はいうにおよばず、クレモナのメーカーたちがバイオリンを完成させたのと同じくらいに重要性を持つというハープの改良などの功績につながるのである。幼年期の彼は道具の使い方に異常に興味を示し、家具職人だった父と仕事をしていた。
 彼が十三歳の時、ストラスブルグ寺院の尖塔によじ登り、十字架の上に腰掛けて景色を眺めていたという話は有名だが、彼の気質の中に冒険的な企てつまり離れ技的な企業心が住みついており、これがその生涯の成功の鍵となったのである。
 セバスチャンが十六歳の時父親は死亡している。そのため彼は母親と三人の幼い弟、妹を世話しなければならなくなった。しかし、彼は家具職人として満足できる男ではなく、あっさりと家を飛び出して、職を求めてパリまでの長い道を歩いたという。幸いにパリではチェンバロのメーカーの弟子となり、その技術的な手腕を買われて充分な給料をもらい、ストラスブルグに残した肉親の面倒を見ることができるようになった。
 しかし、メーカーのマスターにとって、この弟子は大物過ぎた。つまり経験主義的に腕を磨いてきたこの師匠は、セバスチャンの科学的な質問には全く答えられず、さらにこの弟子は一を聞いて十を知るという天才児であったために、やがて主客転倒してしまい、弟子が師匠を教えるという奇妙なことになり、とうとうクビになってしまった。
 エラールが仕えた次のマスターは、最初の師匠と違って、まことに賢命であった。彼は自分の腕前より弟子の技量の方が数段優れているのを見抜き、エラールに一切の仕事をまかせ、自由にチェンバロを作らせた。そして、そのマスターは、出来上がったすばらしい楽器を自作のものとして売りさばいたのである。エラールはこの秘密を守っていたが、悪いことは出来ぬもので、マスターが顧客から技術的質問を受けて答えられなかったことから、この秘密が露見し、逆にエラールの評判がパリ中に知れ渡り、次の幸福をつかむことになるのである。
 エラールの名声を聞いたビュロアの公爵夫人が、一七七七年に彼のパトロンとなり、その才能はさらに開花することになった。公爵夫人は音楽の愛好家で、自分の楽器を作らせるのが目的で、ちょうどタスカニーの君主がクリストフォリを雇い入れたようにエラールを丸がかえにした。彼は城中にすばらしい設備の仕事場を与えてもらい、自由に自分自身の研究に没頭したのである。
 彼が最初にピアノを作り上げたのはその同じ年で、この楽器は二個のユニゾンストップのついた五オクターブのスクエアピアノであったが、当時のいずれのピアノと比較しても、格段の優れた性能を持っていたという。
 公爵夫人の城中での安泰な三ヵ年を過ごした後、エラールは二十五歳の若さで、パリのブルボン通りに自分の仕事場を持って独立した。彼の成功は全くのトントン拍子で、ビュロア公爵夫人を初めとする多くの貴族の支援を得て、たちまちパリの名士にのし上がってしまった。
 しかし、“出る杭は打たれる”のたとえの通り、他のライバル楽器メーカーたちの妨害により、ギルドから外され、仕事場を閉じざるを得ない状況に追い込まれた。当時のギルド(職人組合)の制度は絶対の権限を持っていたのである。
 このような逆境から逃れる方法は、フランス王朝のライセンスを得るという以外に考えられなかった。非凡なエラールは、この時期にマリー・アントワネットにうまうまと取り入っていたのである。マリー・アントワネットの声は音域が充分でなく、普通の譜面のキーで歌うことが難しかった。エラールはこれに目をつけ、トランスポージングピアノ(移調ピアノ=鍵盤を持ち上げて左右にずらすと、譜面を変えずにどんな調子にでも移調できる)を作り上げ、王妃に献上したという。
 この効果は絶大であった。王妃の進言によってルイ十六世はエラールに対して、ギルドとは関係なくピアノ製作の特免状を与えたのである。フランス王朝の後援は絶大なもので、ブルボン通りのエラールの仕事場はたちまち再開され、栄えに栄えたのである。
 ところが、一七八九年に突如としてフランス革命が起こった。エラールは宮廷側の人物として当然ギロチンにかかって首をはねられるはずであったが、彼の生来の立ち回りの巧妙さから危険を察知し、まず、ブラッセルに逃げ、次いでロンドンに渡った。ロンドンにおける彼は、その交際上手さでたちまち上流階級の人々と親交を結び、エラールのロンドン支店を開設し、やがて、一七九二年に後世にその名を残したピアノとハープのパテントを取っている。なお、イギリス滞在中には寸暇を惜しんでイギリスのピアノの構造、特にその優れたアクションの機構を学び取り、さらに工場生産の方法も抜け目なく吸収した。
 エラールはフランス革命の恐怖の時代が去った一七九六年にパリに舞い戻っている。マリー・アントワネットはすでに刑場の露と消え、多くの貴族たちも追放されて、エラールはすべてのパトロンを失ったわけだが、彼はその頃、すでに確固たる地位を築き上げており、ロンドンとパリの工場は互いに連絡を緊密にして栄え続けていたのである。エラールはこの年に最初のグランドピアノを作り上げているが、この楽器はイギリス式のアクションのついたもので、有名なレペティションアクションをグランドに採用したのは一八〇九年からと伝えられている。なお、この年に彼の優れた後継者となった甥のピエール・エラールが生まれている。
 一七九八年から十数年間、エラールはハープの改良に没頭している。当時のヨーロッパでは、ハープが高貴な女性の間に驚くほど普及しており、ペダルハープはその歴史の古さと音楽的表現力のすばらしさで、ピアノと優劣を競うほどの楽器であった。
 非凡な才能を持っていたエラールは、ピアノのアクションを理想的に改良するとともに、ダブルアクションハープを作り出すことによって、双方の楽器の演奏範囲を拡大するという偉大な功績を打ち立てたのである。
 一八一一年に歴史にのこるダブルアクションハープが完成されているが、この楽器の出現によって、当時のフランスの感傷主義的な音楽が大きく影響された。このダブルアクションハープを作り上げた際のエラールの仕事ぶりは尋常ではなく、三ヵ月の間、シャワーも浴びず、肌着も替えず、食事は鉛筆を握ったままの立ち食いで、狂気か熱病にとりつかれたような有様で設計図の散乱した中で仮眠していたという。このようにして作り出された彼のハープは、先に述べた通りクレモナのバイオリンの名器のように改良の余地の全くない完成された楽器であった。
 やがて、甥のピエールが成長して、エラールの後継ぎとなれるほどの技術量を発揮し始めた。彼はわずか二十五歳の時に、自分で考案したレペティションアクションのパテントをロンドンで申請しているが、このパテントこそ現在のモダングランドピアノの原型となったものである。
 なお、一八二〇年から一八三〇年にかけてセバスチャンとピエールは、共同してピアノの画期的な改良を成し遂げている。つまり、近代ピアノの構造と機構はこの時期に不滅の楽器として完成されたといえる。
 リストは十三歳の時にフランスの聴衆の前で初演奏をしているが、この時に使ったのがエラールの楽器で、このピアノこそ奏者の意のままに鳴りすべての表現力を持った最高のものであったと記録されている。当時のフランスでは、その一世紀後に“ツェッペリン”が飛行船の代名詞として使われたように、“エラール”の名はピアノの同意語であったという。
 エラールのピアノは、この頃から一世紀の間リストを初めとする世界のあらゆる演奏家に愛用され、この楽器を弾かなかったのはショパンだけであったとも伝えられている。ショパンは、やはりフランスの名器であるプレイエルのピアノを愛用していた。
 フランスでは一八三〇年に七月革命が起きて、チャールス十世が退位した。この際フランスの多くのパイプオルガンが破壊された。セバスチャン・エラールは、その最後の仕事としてパリのチュイルリー宮殿のオルガンの修復を命ぜられたが、この完成を待たず、一八三一年の八月五日にこの世を去っている。彼の終焉の地は、ルイ十五世が狩猟に使っていたシャトー・ド・ミュエッテ(無言の城)で、彼は生涯かかって築いた莫大な富でこの城を手中にし、数えきれないほどのすばらしい楽器に囲まれながら、その生涯を終えたのである。
 エラールのピアノは、彼の死後もピエール・エラールやその夫人の甥であるフランクイビィユ伯爵などによって引き継がれ、今世紀の半ばまで数多く作り続けられた。しかし、フランスのピアノの衰退とともにその姿を消し、現在ではあるドイツのメーカーによってわずかにその伝統が保たれている。フランスのピアノ音楽に触れる場合、このエラールの楽器は絶対に忘れることができないもので、打楽器的な音色のピアノの音が町に渦巻いている現在、フランスのピアノの優雅な音色は、過去のものとはいえ、忘れてはならないものであろう。

 

改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


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