下田幸二著「聴くために弾くために~ショパン全曲解説」(ショパン発行)より毎月テーマを決めて抜粋、ご紹介していきます。
ノクターン NOCTURNES
ショパンの作品中、その生涯にわたって作られ、しかも多作の楽曲は、ポロネーズ、マズルカ、ワルツ、そしてノクターンである。
それらを調べてみると、なかなかに興味深い。
「ポロネーズ」 --- 1817年
「マズルカ」 --- 1820年
「ワルツ」 --- 1825年
「ノクターン」 --- 1827年
これを見ると、ポロネーズ、マズルカは10歳まで、つまり、子供時代にすでに作曲されていて、ワルツ、ノクターンは、10代半ば、いわゆる思春期になって初めて作曲されていることが分かる。
マズルカ、ポロネーズは、ポーランド固有の舞曲である。ジェラゾヴァ・ヴォラというワルシャワ郊外の片田舎で生まれ、ワルシャワで育ち、また、上流社会にも幼少の頃から出入りしていたショパン。そんな彼にとってこの二つの舞曲は、マズルカは田舎で、そしてポロネーズは貴族の館や宮廷で、それぞれ子守歌代わりに慣れ親しんだものであった。そのような環境の中で、天賦の才を持ったショパンは、それらの曲をポーランド人として自然に作曲したのである。
一方、ワルツ、ノクターンになると、少し事情が異なる。
ワルツは、男女がペアになって、男性は女性をエスコートし、踊りながら社交を温めるものだ。(マズルカ、ポロネーズも男女ペアで踊るけれども、決して「社交を温める」という感じではない…。)
ノクターンは、言うなれば、一種のセレナード。夜空を見上げて、窓辺で歌う恋の歌である。
つまり、この両曲には、共通して「男女の愛情」というテーマが存在するのである。ショパンは、思春期に入って、女性への憧れ、そしてそれに伴う苦しみを知るようになってから初めて、この二つの曲を、一人の男性として作曲しようとしたのである。そしてその心情は、ワルツより後から作曲されたノクターンにより濃く表現されている。(後略)
1830年作曲。1875年出版。正式な献呈とは言えないが、姉ルドヴィカに贈られた。
曲は当初、ノクターンとは書かれておらず、単にLento con gran espressione とあったが、後に姉ルドヴィカが、「ノクターン風レント」と記したのであった。
3部形式で作られ、中間部には、第21~22小節などにピアノ協奏曲ヘ短調の第3楽章、第23~24小節などに第1楽章、および第29~32小節に歌曲「願い」からのモティーフなどが使われ、なかなかすてきに仕上がっている。
なお、この曲にはショパン自身の手による二つの版が存在し、一般的なのは第2版。第1版には、中間部に左は4/4拍子のままで右だけを左2拍ごとに3/4拍子で弾くポリリズムが存在する。
ポロネーズ POLONAISES
私がポーランドに来て初めてポロネーズを強く意識したのは、レコードでもCDでも演奏会でもなかった。なんとそれは、厳冬の中で乗ったおんぼろタクシーに流れるラジオの時報に使われた軍隊ポロネーズであった。何か吹き出しそうになりながらも、妙に感動したものだ。
ショパンの現存する最初の作品は、1817年作の「ポロネーズ ト短調」である。そして、独奏曲としてのポロネーズの作曲は、1846年の「幻想ポロネーズ」まで16曲、実にショパンのほぼ全作曲家生涯にわたっている。それほどこのポーランド舞曲は、ショパンの血の中に深く入り込んでいた。
さて、「ポロネーズ」という語は、そもそもがフランス語で、ポーランド舞曲一般をさすものだった。それが時と共に現在の楽曲の名として定着したのである。(後略)
1817年作曲。1817年出版(当時狭い範囲で発表され、その後長らく行方不明だったので、遺作に入れる)。ヴィクトワール<ヴィクトリア>・スカルベク伯爵令嬢に献呈。
現存するショパン最初の作品。次の第12番変ロ長調同様、ポーランドの作曲家、ミハウ・クレオファス・オギンスキ(1765?~1833)のポロネーズの作風に似ているが、7歳にしてすでにそれを凌駕しているとも言える。子どもらしいのだが素直な魅力のある変ロ長調のトリオなどを見ると、それは顕著だ。
●ポロネーズ 第7番 変イ長調 作品61「幻想ポロネーズ」
1845~46年作曲。A.(アン・)ヴェレ夫人に献呈。
ショパン最後の大規模な作品であり、傑作。
22小節もある文字通り幻想的和声の序奏に始まり、続く曲の中心ともなる最初の主題A(第24小節から)は、序奏部からのモティーフを引き継いでいる。主要主題はAを含めて5つあり、B(第66小節から)、C(第116小節から)、D(第152小節から)、E(第182小節から。ただしこれは、主題Cから発展したもの)で、これらが様々に組み合わさっている。
3部形式で考えれば、中間部は、ポコ・ピウ・レントからで、再現部は214小節から、そしてコーダが第268小節からである。しかし、形式的にこだわってもあまり意味はない。
この曲の魅力は、その幻想的雰囲気、クライマックスとそこへ至る葛藤にある。ことに、それまでの心の憂いを晴らすかのように再現部で高らかに歌われる主題AとDは、精神の崇高さに満ちており、感動的だ。
曲が長いので、よほど構成力のあるピアニストでないとだれてしまいやすいが、素晴らしい緊張感を持って弾かれたときの感動もそれだけ大きいと言えよう。そこには、ショパンの感性がちりばめられている。
●3つのポロネーズ 作品71(遺作)
第8番 ニ短調 作品71-1(遺作)
ショパンの初期作品に多いフィギュレーションによる装飾が目立ち、若いショパンの技巧への試みが感じられる。
魅力的なのはニ長調の中間部で、愛らしく、何か懐かしさすら覚える。
なおこの曲は、当時、友人のティトゥス・ヴォイチェホフスキやミハウ・スカルベク伯爵に贈られたらしい。
第9番 変ロ長調 作品71-2(遺作)
この曲単独では、1853年頃出版されている。
全16曲中、第15番と共に、アウフタクトで始まっている数少ない曲。若い頃のショパンの作品に多い、右手の華麗なパッセージやショパンの作曲様式の重要要素である「ショパンのコロラトゥーラ」が目立ち始めている。やはりこのあたりは、ロッシーニ等のオペラの影響をたっぷり受けていると言えそうである。
第10番ヘ短調 作品71-3(遺作)
物思いに沈んだようなヘ短調の主部。そして、ポーランドの長い冬の後、新春の中で遊ぶような変イ長調の中間部トリオ。
このトリオをアントニ・ラジヴィーウ公の娘、エリザ嬢がこの上なく気に入り、ショパンは、「…彼女のこのポロネーズを毎日弾かねばならなかったと言えば、このお姫様の性格は分かるね。彼女は変イ長調のトリオがこの上なくお気に入りなのです…」と1829年11月14日付の手紙で、親友のティトゥスに宛て、楽しげに書いている。