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ピアノ殺人事件

〜ピアノ騒音がもたらした惨劇〜



 昭和49(1974)年の夏、神奈川県平塚市の県営住宅で、4階に住む当時46 歳の男性が「ピアノの音がうるさい」という理由で階下の母親(当時33 歳)と娘2人(当時8歳、4歳)の3人を刃物で刺し殺した。被害現場の襖には「迷惑かけるんだから、スミマセンの一言くらい言え、気分の問題だ・・・」との走り書きが残されていた。犯人は犯行後バイクで逃走したものの3日後に自首。逮捕されたのちに死刑が確定した。凶器は事前に購入しており、殺害の機会を狙っていた計画性のある犯行だった。
 「音が聞こえるのはお互い様」というのが通念だった当時、騒音が人を狂気に追いやったという衝撃性から、「ピアノ殺人事件」と呼ばれ大きくマスコミに取り上げられた。また、ピアノという人の心を豊かにする「楽器」が殺人事件の原因となったことも社会を震撼させる要因となった。
 戦後の高度経済成長の影響で、1950 年代半ば頃から全国各地に多くのニュータウンや団地が建設されはじめた。この頃に建てられた団地は鉄筋コンクリート製で、それまでの質素な共同住宅に対して遮音性に期待する人も少なくなかった。実際、犯人も静かな暮らしに憧れて入居したが、必ずしも遮音性に優れたものではなく、固体伝搬音に関しては十分に他室へ響いてしまうものだった。
 また、これと同時期にピアノの所有者も急激に増加する。新・三種の神器としてもてはやされたクーラー、カラーテレビ、カー(3 C)とともに、それまで高嶺の花として扱われていたピアノも庶民の暮らしに普及しはじめたのだ。戦後復興による都市の近代化と豊かな生活への変貌によって生まれた2つのものが相まって、凄惨な事件の発生を導いたともいえる。
 事件の要因には犯人の心理状況やパーソナリティも影響していた。犯人は当時、失業保険が切れたうえ妻も出て行き、まさに絶望の淵に突き落とされた状況で、その後の供述でも「生活が八方塞がりで、死んでしまおうかなと思った」と述べている。どうしようもない苦境の中、人との交流を断ちひっそりと暮らしはじめようとしていた矢先に階下からピアノの練習音が聞こえ、犯人に殺意を芽生えさせたのだった。また、犯人は控訴審の中で行われた精神鑑定でパラノイア(日本語では、妄想病、偏執病と訳されている精神障害)と診断されている。これらの原因から生み出された異常なまでの被害者意識が階下の親子へと向けられたことで事件は起きた。
 現代の日本、特に東京では一極集中による過密な住宅環境が存在する。音が聞こえやすい周囲に密接した暮らしであることに加え、近所付き合いも希薄になりつつある現代社会ではすぐ隣にどんな人が住んでいるのかも分からない。「ピアノ殺人事件」のような事件を二度と起こさないために適切な防音対策をする必要に迫られている時代だといえるだろう。また、マンション住まいだが楽器を演奏したいという人も多い。他室へ漏れる練習音を軽視せず、なおかつ自身も集中して練習に打ち込める環境を整えていく必要がある。





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