特集1 防音を取り巻く社会事情

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防音を取り巻く社会事情

文/橋本典久



騒音問題がますます深刻さを増す今日。
音楽を楽しむ人が「防音」するのは大切なマナーです。
そもそも騒音とは何なのか。
防音対策が当たり前となった現代に至るまでの社会的背景、
これからの時代に求められることとは―。

時代とともに変化する

騒音問題
 騒音という言葉が使われ始めたのは、大正時代の終わりから昭和の初め頃であり、それまでの一時期に「噪音」という用語が使われたことはあるものの、明治期にはまだ騒音という言葉は存在していなかった。それは、騒音に悩まされるという概念自体が一般社会に存在していなかったためであり、これは現代からかえりみると実に驚くべき、あるいは感嘆すべき日本人の特質だったといえる。しかし、その後百数十年を経て、日本人の騒音に対する感性は大きく変化し、今や騒音への愁しゅうそ訴が巷に満ちあふれる時代を迎えている。
 その騒音問題も時代とともに大きく変化している。昭和は公害騒音の時代であったが、平成の30 年は近隣騒音が主流となった。近隣騒音という言葉が環境白書に初めて登場したのは昭和50 年であり、これは前年に発生したピアノ殺人事件(平塚の県営住宅4階に住む男が、階下の子供のピアノ練習音がうるさいと、母親と女児2人の3人を刺殺した事件。詳細はp48 参照)の社会的インパクトがあまりにも大きかったため、「いわゆる近隣騒音による公害が問題化してきている」と「いわゆる」付で言及したものであった。また、同年の警察白書ではペット殺人事件を取り上げ、「現代社会の抱える問題を象徴するような事件が発生し、社会に注目を浴びた」と述べている。近所から音が聞こえるのはお互い様で当たり前、そんな時代の終焉を人びとが意識し始めた時期であったが、その後僅か数十年で、近隣騒音による殺傷事件が年間千数百件も発生する、騒音トラブル全盛時代へと変貌したのである。現代の騒音問題といえば近隣騒音を指すことにもはや異論はないであろう。身近でささやかな音や声だったものが、今や、事件や訴訟の元凶となり、人生や生活までをも破壊する影響力を持つに至ったのである。その近隣騒音がさらに変質を遂げはじめている。


なぜ騒音の苦情件数が

増え続けているのか
 典型7公害*に関する苦情件数の中では、長年、大気汚染が圧倒的な1位だったが、平成26 年に騒音がこれを抜いた。
大気汚染や水質汚濁などの苦情件数は年々減少傾向にあるなか、騒音苦情件数だけが上昇傾向を示す特異な推移をしている。これは現代の騒音環境だけが極端に悪化しているわけではない。防音技術や騒音制御技術は他の項目同様に以前より格段に進んでいるのである。それでも騒音苦情が増加している理由は、大気汚染や水質汚濁などの物理的な項目とは異なり、騒音だけが人間関係や人間心理と強い連関があるためである。現代社会を眺めれば、人のつながりの希薄化や地域コミュニティの崩壊、高齢化社会の進展による一人暮らしの増加など、孤独感や閉塞感などの社会的な不安定要素が蔓延している。これらを背景として、騒音苦情の質の変化が生じ、これまで対象とならなかった身近な音にまで不寛容化が進み、苦情が拡がっているのでる。子どもの声やマンションの足音、犬の鳴き声や学校の部活、はたまた除夜の鐘や盆踊り、風でバタつく店舗ののぼり旗にまで苦情が寄せられる。苦情対象の拡がりが技術の進歩を凌りょうが駕し、騒音苦情件数を押し上げているのである。

* 環境基本法第2 条第3 項に定める大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下及び悪臭の7 つの環境保全上の支障のこと

騒音問題の特徴

 苦情が発生しやすい騒音には二つの特徴がある。一つは、人間関係が絡む音である。人間関係が絡む音とは、相手の悪意や無神経さを感じやすい音である。近隣間のトラブルは悪意を感じると発生し、誠意を感じれば解決するというのが基本原理であり、近隣騒音も同じである。もう一つは、お互い様が成立しない音である。お互い様が成立しない状況では、被害者意識を持ちやすい。トラブルの裏側には必ず被害者意識が潜んでおり、それがトラブルをエスカレートさせる。悪意の感受と被害者意識、この二つが近隣騒音問題を泥沼の騒音トラブルに変化させるのである。


「騒音」と「煩音」

 騒音苦情の質が変化している以上、苦情対応にも変化が必要である。その点を明確にするため、煩音(ハンオン)という言葉を使っている。音には騒音と煩音があり、それぞれ次の意味である。

騒音とは……音量が大きく、耳で聞いてうるさく感じる音
煩音とは…… 音がさほど大きくなくても、相手との人間関係や心理状態でうるさく感じてしまう音

なぜ、騒音と煩音を区別しなければならないのか、それは必要な対策がまったく異なるからである。
・ 騒音問題で必要な対策は、音量を小さくすること、すなわち防音対策である。
・ 煩音問題での対策は、誠意ある対応により相手との関係を改善することである。
 現在増えてきた騒音苦情のほとんどは煩音問題であると言っても過言ではない。
相手との信頼関係ができれば、煩音問題はおのずと解決に向かう。仮に、煩音問題に対して防音対策のみを行えば、多くの場合、問題はこじれてエスカレートする。


音の問題は半心半技

 京都府のとある私立高校が、敷地境界近くに空調室外機を数十台設置した。近隣住民が騒音は心配ないかを尋ねると、高校の職員は「何を言うとる。学校のねき(すぐ横)にいたらこんなこと当たり前やろ。ここが安いから買うて来たんやろ」と発言した。
空調機を稼働させると、すぐに近隣住民から騒音の苦情が寄せられた。これに対し高校側は敷地境界に防音塀を設置したが苦情は収まらず、その後、1000 万円近くの費用をかけてさらに3度の防音壁の増設を繰り返した。いつしか高校側には、クレーマーにより苦しめられているという被害者意識が生まれ、近隣住民は騒音被害の上にクレーマー扱いまで受けるという強い被害感を持ち、当事者双方が被害者意識を持つという矛盾の中で騒音トラブルはエスカレートしていった。苦情は収まることなく11 年もの間継続し、最終的に近隣住民が裁判所に騒音の差し止めと損害賠償を求めて提訴し、2年間の法廷闘争の後、高校側敗訴の判決が下された。最初の苦情が寄せられた時の高校側の初期対応がまずく、単なる騒音問題が煩音問題へと変化したが、高校側はその後も煩音対策をまったく行わず、防音対策のみに固執し続けて状況を悪化させた典型的な事例であった。
 騒音苦情が発生すれば防音対策を行う、それが誠意ある対応として相手に伝われば、煩音対策ができたことになる。
しかし、「さあ、これで満足か」という意識が相手に伝われば、苦情は間違いなくトラブルにエスカレートする。「音の問題は半心半技(心理的なものが半分、技術的なものが半分)」であり、けっして技術だけでは解決しないことを肝に銘じておく必要がある。


適確な判断力と賢明な対応力が

求められる時代
 騒音問題は時代とともに大きく変化してきた。公害騒音から近隣騒音へと変移し、近隣騒音の中でもより人間的要素の強い騒音が主役となった。音に対する社会の不寛容化は急速に進み、今後ますます、騒音苦情環境は悪化していくことは確実である。
騒音問題なのか煩音問題なのか、本質を見抜く適確な判断力と状況に即した賢明な対応力を持つことが今求められている。

hashimoto.png 橋本 典久(はしもと のりひさ)
騒音問題総合研究所・代表、八戸工業大学名誉教授。東京工業大学・建築学科卒業、東京大学より博士(工学)。一級建築士、環境計量士。専門は音環境工学。著書に『近所がうるさい! 騒音トラブルの恐怖』( ベスト新書)、『2階で子どもを走らせるなっ! 近隣トラブルは「感情公害」』(光文社新書)など。日本音響学会技術開発賞、日本建築学会賞、日本建築学会著作賞などを受賞






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