楽器の事典ヴァイオリン 序章 1 西洋文化の息吹と共に

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西洋文化の息吹と共に

 ヴァイオリンは、日本に渡来した洋楽器のうちのもっとも古いものの一つに数えられる。
 1880年には、東京・深川の琴三味線製造業、松永定次郎が日本で初めてヴァイオリンを作ったとの記録が残されている。この松岡定次郎作のヴァイオリンは、その後1907年に催された博覧会にも出品され、宮内庁(当時)のお買い上げを賜るなどの名声を博したという。この間。世にいう鹿鳴館華やかなりし時代も経て、日本は急速な勢いで西洋音楽を吸収していった。
 また、今世紀に入って1915年には、1887年創立の名古屋の鈴木バイオリンが早くも黄金時代を迎える。第一次世界大戦によってドイツのメーカーなどが壊滅状態となり、世界中からの注文が鈴木バイオリンに集まったためでもあった。1887年から一貫してヴァイオリン作りに取り組み、鈴木バイオリンを興したのちもヴァイオリン一筋に生きた創立者・鈴木政吉の業績は著しいもので、鈴木政吉系統のほかにも宮本金八などのヴァイオリン作りの名人たちが、対象年間後半以降、次々と頭角を現していった。
 さらに、その頃、モダン好みで知られた東京・日本橋三越がヴァイオリンの展示会を行うなど、ヴァイオリン愛好熱は高まる一方で、人びとがこの楽器に寄せる関心は非常に深かった。戦前のこの時代、たとえばその後鈴木メソードを発表して業績を上げた鈴木鎮一や、諏訪根自子といったヴァイオリニストたちがガルネリウスを使っていたと伝えられている。また作曲家の貴志康一が、一時ストラディヴァリウスを所有していたともいわれている。
 (注) 貴志康一(1909~1937) ー作曲家、指揮をフルトヴェングラーに師事してベルリンで研鑽をつむ。 交響詩「仏陀」、オペレッタ、バレエ曲 ヴァイオリン曲などの作品を残す。
 
 ちなみに三越では大正年間に1度、1933年に1度、展示会を開いている。前者は、アメリカへの途上で横浜に寄港したドイツの船に積まれてあったヴァイオリンを音楽家対象に特別展示したもの。後者は、新入荷のストラディヴァリウスやガルネリウスを展示したものであった。
 

楽器の事典ヴァイオリン 1995年12月20日発行 無断転載禁止


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