子どもの貧困って何だろう?② 分断線を消す

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子どもの貧困って何だろう?② 分断線を消す

今回は、子どもの貧困問題の前に、憲法25条の生存権に基づいて施行され、社会で最後のセーフティネットと呼ばれている生活保護の話をします。日本の生活保護の利用率は、OECD先進国に比べてかなり少なく、生活保護受給を必要とする人たちの中で、実際に支給されている割合である捕捉率は、8割を超えるスウェーデンやフランスに比べて、日本は2割弱に過ぎません(下表参照)。 スクリーンショット 0028-09-01 午後4.34.50 捕捉率が極端に低い要因としては、制度を利用するための条件が厳しい、親族に迷惑をかける(親族による扶養を条件としているのは日本だけ)、あるいは役所で適切に対応してくれない(水際作戦と呼ばれるもの)などがあるでしょうが、これらの事柄も含めて、日本では社会の「偏見や差別」、本人の「恥ずかしさや屈辱感」が大きく影響しているといわれています。 2年前、ごくごく一部の不正受給や俳優の母親が生活保護を利用していたことが大きな生活保護バッシングに発展したことは、ご記憶の方も多いと思います。これらのマスコミ報道だけで、どれだけの人々が大きな心の傷を受けたかは想像に難くありません。日本は昔からこんなに不寛容な社会だったのでしょうか。 こうした疑問に対し、日本の貧困・格差問題を18歳の高校生にもわかりやすく回答しているのが、慶應義塾大学教授の井手英策氏の著書、『18歳からの格差論~日本に本当に必要なもの』です。井手氏は、戦後日本の経済運営「公共事業+減税」により、日本人は「働いて、お金をたくわえ、自分自身で生活を守る」社会をつくってきたといいます。 (著書より抜粋)……その裏返しとして、社会保障は、勤労をおえた尊敬すべきお年寄りへの「ごほうび」と、勤労のできないかわいそうな人たちへの「ほどこし」に限定されました。働くことが前提の自己責任社会――そう、僕が「勤労国家」と呼ぶ国家の土台はこうして生み出されたのでした。…… 社会保障の通念が「ほどこし」である限り、生活保護を受けるほうは、「恥ずかしさや屈辱感」にさいなまれるのは、当然といえば当然でしょう。残念ながら、今もなお、「社会保障は権利ではなく、ほどこし」の考え方が日本社会に根強く残っているのが実情です。しかし、それも経済成長期には、ほどこす側(負担する側)=中高所得者の余裕によって、それほど表面化はしませんでした。 問題は、成長が期待できなくなり、財政赤字が声高に叫ばれるようになった近年、ほどこす側(負担)と、ほどこされる側(受益)=低所得者の心の中に大きな垣根が現前化してきたことです。井手氏はこれを、「社会的分断」と呼んでいます。氏は、この分断線を消すために、新たな財政のありかた、「誰もが負担と受益の当事者になる」という方向性を提示しているのですが、当コラムではとても説明し切れません。関心のある方は、氏の著書をぜひご一読ください(アマゾンは下記アドレス)。 https://www.amazon.co.jp/18%E6%AD%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%A0%BC%E5%B7%AE%E8%AB%96-%E4%BA%95%E6%89%8B-%E8%8B%B1%E7%AD%96/dp/4492223711 さて、子どもの貧困問題です。国会で『子どもの貧困対策の推進に関する法律案』が決議されたのは2013年6月。同法案に基づき、地方自治体が子どもの貧困対策計画の基準とすべき『子どもの貧困対策に関する大綱』が2014年8月に閣議決定しました。大綱が打ち出されてからすでに2年間が経過し、自治体や民間レベルでは数多くの取組みが登場していますが、国策レベルではどんな動きがあったでしょうか。 今のところ、高校生に支給される返済不要の「高校生等奨学給付金」の実施、ひとり親世帯に支給される児童扶養手当の2子以降の給付金額アップ、さらに2017年度から大学新入生の希望者全員に無利子奨学金の実施など、それぞれ金額や所得制限などの課題を抱えていますが、ほんの少しずつ前進が見られます。 前段で紹介した井手氏は、財政の健全化や社会的分断の予防として、子どもの育成環境をしっかり整えることが非常に大きな効果があると断じています。生まれた家庭環境に左右されない、すべての子どもや若者が幸福になるための機会平等の実現へ向けて、ようやく小さな一歩が踏み出された感がします。 (文・中田充樹)
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