歓喜の歌 日本語版から 『日本人』と『第九交響曲』ー「日本の第九」誕生の記ー(後半)

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『日本人』と『第九交響曲』

ー「日本の第九」誕生の記ー(後半)

                     都築 正道

 (前半に続く)

 最近では、面白いことに、日本だけの歳末行事にすぎなかったベートーヴェンの第九交響曲の演奏会が、本場のヨーロッパでも定着しつつあるそうだ。だが、この噂はとても本当とは思われない。なぜなら、我が国とは音楽環境がまったく違うヨーロッパでは、冬のシーズンになると、「例えばウィーンにウィンナーワルツを演奏するニューイヤー・コンサートがあるように、各都市ごとに自前のオペラやバレエが上演されるからだ。「我が町特有の楽しく華やかで祝祭的なオペラやワルツこそ、家族そろって(といっても子どもはお留守番だが)新年を迎えるにふさわしい」と彼らは考えているに違いないからだ。もし、ドイツ国内が、ある時期突然、何の理由もなく一斉に「歓喜の歌」を歌い始めたとしたら、彼らはきっとなにかうさん臭いものを敏感に感じ取るだろう。

 だが、幸か不幸か、我が国の「第九シンドローム(症候群)」は、そのような政治的歴史的な病気の徴候ではなくて、オペラやバレエの不作による文化的な栄養失調のおかげと思われる。家族がそろって楽しめる教育的で趣味の良い催しと言えば「現在のところ第九しか思いつかない」といった私たちの文化的貧困さの結果でもある。ここで「第九・貧困文化論」を加えたい。
 しかし、「どうしても第九だ」というのなら、いっそドイツ語でではなく、日本語で歌ってみようではないか。
 日本へ来たばかりのドイツ人が、日本人が原語で第九を歌うのを聴いて感激して言った。「おお、日本語はどこかドイツ語に似てますね」。これは心なき冗談かもしれない。だが、現代のドイツ人でさえも難解に感じているシラーの詩を、なぜ日本人が日本人相手にドイツ語で歌うのだろうか。「第九は原語でなければ……」という精神主義に対しては、「最悪の精神主義は形式主義である」と言っておこう。わざわざドイツ語にカナをふってまで、誰にも分からぬ無国籍「原語」で歌うことは悪(あ)しき形式主義である。
 私たちの詩人がいつまでも怠慢であるとは思われないのだが、そろそろ美しい日本語によって歌われる第九が現れてもいいのではあるまいか。単なる翻訳ではなく、日本人の優れた感性と豊かな叡智を正しく歌いあげる「第九・新しき魂論」の登場を、私は来るべき年にこそ期待する。

 という夢のような話を朝日新聞(昭和59年12月22日付夕刊)に書いた。それから半年ほどたった翌年の春、「昭和62年度の桑名市制の50周年で第九を歌ったらどうだろう」と杉山拓一郎君が来て言った。もちろん異存はないが、「ぜひ、日本語で歌いたい」と提案した。彼は「くわな市民コーラス」の四ッ谷昌彦君といっしょにどんどん話を進めて行き、その年の秋には桑名青年会議所の先輩である佐藤信義氏にリーダーを頼み、61年、「桑名で『日本の第九』を歌う会」が結成された。
 さて、問題は日本語の詩を誰に頼むか、である。生意気なようだが、条件が三つある。現役の詩人であること、クラシック音楽に造詣が深いこと、日本語文化に理解があること、の三つだ。最初から、なかにし礼氏に決めていた。話が具体化してきた60年の秋、直接お電話をして快諾を得た。それで、今、私たちは、ここで、「日本の第九」を歌っている、という訳なのである。
 『日本の第九』の初演は、桑名楽友協会(佐藤信義会長)の主催で昭和62年8月30日に桑名市民会館大ホールで行われ、指揮・石丸寛、ソリストは佐藤しのぶ、伊原直子、小林一男、木村俊光、合唱は桑名で『日本の第九』を歌う会合唱団、オーケストラは名古屋フィルハーモニーである。


歓喜の歌 日本語版 ベートーヴェン作曲「交響曲」第九番 合唱終曲 なかにし礼詩 

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